職人の町のショップギャラリー

漆と聞いてイメージするのは、
つやっとした赤や黒の光沢のある色。

もともと漆とは、ウルシの木に
傷をつけることによって出てくる樹液。
漆掻きと呼ばれる方法で採取された樹液を精製し、
おもに塗料として使われます。

漆芸家・田中早苗さんにお話を伺いました。

漆は塗料なので、必ず素地となる形を
漆とは別の材料を使って作る必要があります。

「造形を決めたら素地はどの素材を選ぶか、
どのように漆を塗るかという
両面を考えないといけません」

確かに、漆を単体で見ることは稀で、
うつわやお箸などに塗られた「漆器」として
見る機会がほとんどです。

たとえばお椀は、木地師さんが
お椀の形に挽いた木地に
漆を塗っていくことになります。

ただ、早苗さんご自身で製図しても
平面に描いた線と
木地師さんに実際に立体におこしてもらった形とでは
出来上がりのイメージが違うときもあり、
自分で形を作れないことに
もどかしさを感じたことがあったそうです。

そこで、もっとやわらかく自由なかたちをつくりたいと
早苗さんが始めたのが、乾漆(かんしつ※1)という技法。

今回の取材では、麻布を貼り重ねる、
「布着せ」(※2)の工程を見せてもらいました。

布がうつわになる。
乾漆のことを知るまで、想像もしてかったものづくり。

重ねることで層はだんだん厚く固くなっていきますが
手に持ったときにはその軽さに驚きました。

「乾漆は、形を自由に作れるので
立体を触りながら自分のイメージに
近づけていけるのがいい」
と早苗さんは話します。

造形のイメージは、普段の暮らしの中から
出てくることがほとんどとのこと。

たとえば、ちょうど今制作されている
ふたつの香合(こうごう)。

「今年の春に、スズメが巣から何度も落ちて、
巣に戻すのを繰り返していて。そのとき片手に小さく収まった
様子がなんともいえず儚げで、愛おしく思ってつくった形。

もうひとつは、庭の草むしりをしていたときに
不思議な形だなと思った、おそらくシダの仲間の葉っぱ。

生活の身近にあるものから形をつくります」

早苗さんは、これからは制作工程を
より季節に合わせていきたいと続けます。

「天然の素材を使っているから、
季節に合わせたつくり方をするのが1番いい。

そうずっと感じてはいたものの、今までは時間に
追われてなかなかできませんでした。

そんななか、
『漆に合わせて仕事をすべき』
と言われ、その考えに強く共感しました。

この時季、下地ばかりをやっているのは
そういう流れを自分の中でつくりだしたいから。

じっくり時間をかけてものをつくることは
時代に逆行しているかもしれないけど、
うつわを通して自然の流れの中から
生まれてくるものを届けたいと思います。」

漆を乾かすには、一定の温度と湿度が必要で
梅雨の時期が向いていると言われます。

実際、布着せの工程を取材したのは
ちょうど梅雨の真っ最中で
塗ったばかりの漆がどんどん乾き
チョコレート色からみるみるうちに
こげ茶色、そして黒色へと変化していきました。

漆を塗った順に、左から右へ並ぶ。1番左は布着せ前。

あまりに早く乾くと塗った表面が縮んでしまうので
下地を塗るには梅雨がよくても、
仕上げの上塗りには向いていなかったり。
季節によって適した工程が異なります。

「季節に合わせてものづくりをするということは
きっと漆にとっても一番いい状態で
より特性を生かせるという事だと思います。」

こうして日々、漆と向き合う中で
最近気づいたことがあるそうです。

それは、漆のお箸づくりの弟子入り体験を英訳したときのこと。

「漆が乾く状態になることを”cure”、
治すという意味の言葉を使うんです。
乾燥を意味する、”dry”ではなく。

漆のもとである樹液は、木につけられた傷を癒すため
かさぶたのように傷口をかためたくて出てくるのだと思います。

森の木の樹液だから、湿度のある森林の状態に環境を合わせると
早く治る、つまり早く乾くんだと気がついて。

教科書に『漆は湿度があると乾く』と書いてあったし、
自分が作業をするなかで実感もしていましたが
それがなぜか、とまでは考えてなかったので
『なるほどなあ。。。』と納得しました」

この樹液という野性味のあるところが好きという
早苗さんはこう続けます。

「漆のたくましさや大らかさを表現したくて。

だから最近では、木地を塗ることに
もう1度戻ろうかなとも思ってます。
図面で絵を描くだけではなく、木地づくり、造形もやりたい。

漆の魅力はきれいな部分だけではありません。

たとえば漆塗りの花入れに花を生けてみると、
漆のもっている抗菌力のおかげで、花の持ちがよかったり。

そういう漆が持っている力をもっと感じたいです」

現代の暮らしから離れてしまっているけど
こうした効能も含めて漆を見直してもらい、
もう一度、暮らしの中に戻したいと考えているそう。

最後に、ご家族みなさんで普段使っている
漆のうつわを見せてもらいました。

お子さんたちが幼いときにつくったという
小さなお椀は、今では小鉢として使われています。

そこには一家の歴史が垣間見えました。

「漆って扱いが難しいと遠ざけられるのは寂しくて。
欠けても修理ができることや、愛着をもって
使っていくことで出てくる良さを伝えたい。

特別なときだけのものとするのではなく
食卓という毎日を通して使い続けてもらうと
きっともっと生活を大事にできると思います」

ひとつひとつ時間をかけてつくられたものを
毎日、また時間をかけて自分で育てていく。

そこには、便利さとは異なる豊かさがあります。

「生活の中で使ってほしいと思いつつも
わたしがつくっているものは
使いやすい形とはちょっと違うかもしれない」
と早苗さんが言うのは
日常を無意識的に暮らすのではなく、
その中に小さな喜びや楽しみを
感じられたら幸せだなと思うから。

漆のものをひとつ、
日常生活に入れるだけでなにかに気づけるかも。

早苗さんの手からうみだされるものたちを見ていると
そんな気がしてきます。

文:松倉奈弓
写真・動画:大木賢

(※1)乾漆:漆工の技法のひとつ。
まずは石膏などで原型をつくった上に、
離型剤となる糊を塗り、漆の下地を施す。

糊漆(糊粉と水を溶いて煮た糊と、下地漆を合わせたもの)で
布を貼り重ね、素地の厚みを作りかたちを作っていく。

一度に漆を塗り重ねることは出来ず
一度塗ったら乾かすことが必要で、
さらに、乾かして次の漆を塗る前には
次の漆の食いつきをよくして
かたく丈夫な層をつくるために
表面を砥石やサンドペーパーで研ぐという作業も入る。

幾十もの工程を重ねていくが、1日で進められるのは
1工程のため、できあがりまでには長い時間がかかる。

(※2)布着せ:下地に麻の布を貼り重ねる工程。
作品本体と布を接着させる糊漆を
刷毛で丁寧に作品に塗り、
そこに布をあてて貼っていく工程。
重ねる布の枚数は作品にもよりますが、今回は5枚。
取材時の写真・動画は、4枚目の布を重ねるところ。

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