「まだ、40年」
一人の人間がひとつの仕事を続けてきた年数を語るには、「まだ」はあまりにも似つかわしくない言葉。
しかしその謙虚すぎる姿勢が、木に向き合うには大切なのかもしれません。
旧井波町役場のすぐ裏手にある、大浦製材所を訪ねました。
木彫りのまち・井波には、木彫刻師だけでなく、木にまつわる匠があちこちに暮らしています。
大浦製材所の三代目、大浦さんもその一人。木彫刻師が作品を作る材料・木を切り出すプロです。
製材前の大きな丸太や切り出した角材など、大きさも形も様々な木が、作業場の中にも外にもごろごろと転がっています。
製材の仕事は、「節(フシ)や傷を除いて、一本の木からなるべくたくさんの木材を切り出す」ことだと話す大浦さん。
パッと丸太を見ただけでどこに傷があるか分かるのか質問してみたら、間髪入れずに「大体分かるね」という答えが返ってきました。
切る前に、外からでも分かる木の膨らみ等を見て判断されるそうで、いとも簡単に言い切ります。
「一応勉強もしたけど、もうほとんど経験だね。
身体の中や鉄の中はレントゲンとかの機械で分かるけど、木の場合は中はほとんど空気だから、まだ機械では中身がどうなってるか分からない」
外から見ただけで使えるか使えないかを判断するのは、長年の勘。
クスノキ、ケヤキ、キリなど木の種類によって特徴は異なり、そして同じ種類だとしても一本たりとも同じ木はありません。
経験値を積むのには「10年はかかるなあ」と笑い、だからこそご自身も「まだ」40年の、道半ばなのだと言います。
木が、金属などと大きく異なる点異なる大きな点は呼吸をしていること。
山で伐採し丸太になって、角材に製材された後も、木は生きているので動き続けます。
「外側の部分は成長していく過程で動いてしまいます。
だから、『白太』と呼ばれる一番外側の部分はあまり使わないようにするんです。
若い、成長している過程の白太は後から動く。
成長が止まったというか、成長が固定した芯の部分を使って製品にするんです」
切った後も木は動き続けるだなんて、まるで動物を相手にしているよう。
ただ、動いてしまったらもうそこで終わりというわけではなく、しばらく乾燥させてまた調整したら使えることも多いのだとか。
製材して半年ほど経った、「これはよく動く」と大浦さんが言う木で説明してもらいました。
「乾燥するときに収縮するところとしないところがあるから、縮み方は一定じゃない。
真っ直ぐに製材しても、ちょっとでも白い部分があると動いてしまう。
でも、これは製材し直せばまだ使える」
一般的に、製材所が切り出す木材は主に建築資材に使われます。
しかし井波ではその土地柄、欄間や彫刻作品の需要が圧倒的に多いため、大浦製材所にある機械は置物などの小さなサイズにも対応できる特別仕様。
さらに建築材であれば、ひとつの材木の内、6〜7割が使えるそうですが、彫刻だと使えるのはなんと多くて4割ほど。
「大きな丸太から、ひとつの材を切り出したときに残りがどうなるか。
なるべく無駄な部分を作らないよう、ジグソーパズルみたいに頭で考えてやるわけです。」
もちろん、ただパズルをすればいいわけではありません。
まず大きな丸太をチェーンソーで短く切った後、そこから縦横どうやって切ると効率よく使えるのか考えることが求められるそうです。
製材するときに特に大切にしているのは、「杢(もく)が真ん中に綺麗に通るように切ること」だと大浦さんは続けます。
大浦さんの言う「杢」とは、美しい模様の入った木目のこと。
「建築材なら、体積、つまり縦・横・長さだけでいいんですけど、彫刻の場合は杢が真ん中に来なきゃだめ。
たとえば一言に天神様と言っても、彫刻師によって作品の大きさとかは違うから、その一人一人に完成品の大きさを聞いたり、実際に作品を見せてもらったり。
彫刻の知識もないとやれないね。
どう製材したら、天神様の鼻のところに杢が綺麗に浮き出るかを考えないと。」
天神様とは、学問の神様・菅原道真公。富山県では、男の子がいる家庭は天神様の木彫刻品や掛け軸を床の間に飾り新年を迎えるという特有の風習があり、その木彫刻品のほとんどが井波で制作されるのです。
以前、木彫刻師の方に「顔の中心から木目が綺麗に広がるように見極めて彫らないといけない。頬っぺたやおでこから木目が広がっていたら不格好になってしまう」と聞いたことがありました。
その下準備をするのが製材の仕事なのか、と合点がいきました。
20代の頃にはドイツで製材のお仕事をされていた経験もあるそうで、長年木の特性を見極めながら技術を培ってきた大浦さん。
「ヨーロッパは特に機械が発達していてね。
1300年も前には、水車を動力にした製材の機械があったんですよ。
1300年っていうと、日本では室町時代よりも前だから、ちょっと考えられない」
大浦製材所が創業した100年前は、まだ電気がなかった時代。
「自分が仕事を始めたとき、ちょうど日本でもチェーンソーが出た頃だったね。
それでずっと仕事が楽になった。
丸太を倒すにしても30分かかっていたのが、1分足らずで出来るようになったから」
それまでは製材をするのにも人の手だけで行なっていたそうで、その当時使われていたノコギリも残っています。
お話を伺っている間、「最近は仕事が少ないから、製材するものはないなあ」と何度も言われましたが、どうしても!と頼んだら、最後に製材機を動かすところを見せてもらいました。
長い間使いこまれているのが一目で分かる、大きな機械の電源を入れると、ブウン、と大きな音を立てて回転する円形のノコギリ。
キリの木の短い丸太を、動かないように固定したら後ろに大浦さんが乗り込みます。
赤いレーザーの光で切る位置を見極めながら、スパッと切り落とされました。
切りたてのその断面から立つスッとした爽やかな香りが、鼻いっぱいに広がります。
おみやげ、と笑いながら渡してくれました。
井波彫刻に限らずですが、完成品にスポットが当たることが多いものづくりの世界。
木彫刻師の技術はもちろんのこと、熟練の職人さんたちが完成までの道中を固めていることがとてもよく分かります。
「木を外から見て、中がどうなってるか想像する。
実際に製材して自分の想像とぴったり合うと、『あー!』と嬉しくなりますね。
木で楽しんどるわけです」
井波彫刻の歴史は、約250年前から始まったと言われています。
その大きな時の流れの中で40年は、大浦さんの言うように確かに「まだ」かもしれません。
その歴史の中には、こうして木を楽しむ顔がたくさんあったのだろうと想像してみたら、脈々と受け継がれてきた背景が少し垣間見えた気がしました。
(文:松倉奈弓)
(写真:大木賢)