井波のまちを歩くとあちこちで
目に飛び込んでくる、木彫刻の看板。
木彫刻の工房はもちろんのこと、
お魚屋さんには魚の看板、
時計屋さんには時計の看板と
それぞれのお店のシンボルを
店先で見つけることができます。
また、民家の玄関先にかけてあるのは
苗字が書かれ、動物が一体になった表札。
彫られている動物は、その家のご主人の干支です。
さらにはバス停にも動物の姿。
今はもう廃駅になった旧井波駅の駅舎前から
子、丑、寅（ね、うし、とら）と
瑞泉寺方面へ上っていくにつれて
十二支の順番に並びます。
そして瑞泉寺の境内へと入ると、
「土足禁止」や「禁煙」といった注意事項 や
境内の案内も木彫刻で案内されています。
「木彫刻のまち」と呼ばれる井波に
まさにぴったりな看板たちは、
訪れた方の興味を引くには十分です。
以前、三代目南部白雲さんの工房に伺った際、
まちの看板についてのお話になりました。
「30年くらい前かな。
まちにいろんな木彫刻の看板つくろうって
提案したら、そのときは馬鹿者扱いされたね。
『景観』なんて言葉も、まだほとんど馴染みのない頃でした」
と白雲さんは笑いながら思い出します。
「江戸時代の江戸看板と呼ばれるものは、
識字率がそんなに高くない時代に
絵で見てぱっと伝わるようにとできたもの。
こういうのあったら楽しいでしょ、と
頼まれもしないのにこの辺りのお店の名前入れて
サンプルをたくさん作ったんですよ」
時間をかけて、井波の彫刻組合や商工会、
そして町を巻き込みながら仕掛けたそう。
「彫刻屋には自分の工房のものは自分で彫らせて、
彫刻以外の商売のお店のものを彫って。
井波のまちなかを、そういう看板の
サンプル会場にしたかったんです。
まち全体が美術館みたいになればいいと思って。
看板、サインというものの需要は
井波に限らず、どこの場所でも需要がある。
実際に見て、気に入ったら、注文も井波で受けられます。
そしてこれが全国に広がれば、井波の彫刻業界の仕事にもなる」
2021年夏に開催された東京オリンピックの開会式で
話題になった、競技ごとのピクトグラム。
言葉を介さず絵だけで伝えることは
イベント会場、駅や空港など、
挙げたら切りがないほど国内外問わず
あらゆる場面で求められます。
白雲さんの工房を訪れたのは
東京オリンピック開催前の春でしたが
そのときにピクトグラムの話もされており、
白雲さんの先見の明に改めて驚きました。
サンプル会場という言葉が物語るように、
干支の動物が表札になっているのを見た観光客の方から、
ご主人だけでなく、ご夫婦おふたりの
干支を両方入れた表札の制作を依頼できるか、
以前尋ねられたことがあります。
何かほしいものがあるときに
「売っているものの中から選ぶこと」が
現代の生活の中では普通になっていますが、
ここ井波では「自分がほしいものを１から
オーダーメイドでつくってもらうこと」ができます。
ファッション業界でいうと、
プレタポルテではなく
オートクチュール。
大量生産の時代に、ずいぶん贅沢なことに感じます。
それが叶えられるのは、井波彫刻は
伝統産業・伝統工芸の業界の中では珍しく
ほとんど分業化されていないことも大きな理由です。
井波の木彫刻師の方たちは、注文を聞き、
デザイン画を描き、それを基に作品を彫り、
販売・納品するまで、すべて自分ひとりで行ないます。
また、木彫刻師のみならず、建具屋さんや
大工さんなどの職人の方々が
今なお多く集まっていることが
井波をオーダーメイドが可能な土地にしています。
そんな井波の秘めた可能性を
まちなかの木彫看板は静かに語ります。
しかし実は、白雲さんの本当のターゲットは
観光客の方だけではなかったそう。
「観光客でにぎわって嬉しい商売の人ももちろんいるけど
地元向けの商売をしている人は、そうでもないかもしれない。
観光ももちろん大切だけど、
まちの人たち自身が、自分の住んでいるまちを
楽しめないとダメだと思って。
まちの人が、ここを『木彫刻のまち』だと
誇りに思ってもらいたいですね」
今よりずっと前は当たり前だった
オーダーメイドが、今もなお残るまち。
井波での「日常」は、
ほかの地域では「非日常」かも？
そういう目線で見たら、ここ井波が
タイムマシンもパスポートもなく行ける
ワンダーランドに見えてきました。
文：松倉奈弓
写真：大木賢